5.19ムラサキ記念日。気付けばあの日から15年。
この15年の間にKAT-TUNはロクーンでなくなり、脱退したり結婚したり充電したり、色々ありました。
事務所も大きく変わりました。
大きな大きなものを失った代わりに、これまでの事務所の体制では考えられないくらい様々な面で自由度が増しました。
もう二度と更新されないと思っていた仁亀の思い出が、もしかしたら増えるかもしれない。
そんな微かな希望というか願望を抱いてしまう2024年春。
今年もこの日に仁亀に思いを馳せたいと思います!
5.19ムラサキ記念日とは?仁亀オタクの特別な日
赤西仁のソロ曲「ムラサキ」で起きた奇跡
そもそも、5.19ムラサキ記念日とはなんやねんという話ですが。
15年前のこの日、KAT-TUNは「KAT-TUN LIVE Break the Records」というコンサートの真っ最中でした。
連続8日間を含む東京ドーム10公演、京セラドーム3公演の計13公演をこなすというわけの分からない日程。
ジャイアンツの選手ですら東京ドーム8連戦とか滅多にないのに。
余談ですが、当初は東京のみでの7日間連続公演の予定だったので「7 DAYS BATTLE」という楽曲が制作されました。
しかし、追加公演が出て7日間じゃなくなったせいか、7バトは結局セトリ落ち。
かっこよくなること間違いなしだから見たかったなぁ。
そんな大規模コンサート内に設けられた日替わりメドレーコーナー。
7日間≒曜日≒惑星ということで6人がそれぞれ惑星の王様に扮し、担当する曜日の日替わりメドレーをプロデュースするというものでした。
担当メンバーの過去ソロ曲+音源化されていないものも含む懐かしのグループ曲というファンが喜ぶしかないメドレー。
まさか映像化されるときに丸々カットされるとは思いませんでしたね(怒)
そんななかで事件は5月19日、赤西仁プロデュースデーで起きました。
赤西くんのソロ曲でもダントツの人気を誇るであろう「ムラサキ」のイントロが流れファンは大絶叫。
耳をつんざくような歓声の中、並んでふざけあう仁亀。
これが世にいう『5.19ムラサキ記念日』の概要です。
赤西くんのジュニア時代のソロ曲で当時はまだ音源化がされていなかった「ムラサキ」。
そんな「ムラサキ」のイントロが流れただけでもファンにとっては大興奮だったのに、仁亀まで並んだもんだから、この日は伝説となったわけです。
一緒に歌っただけで伝説と化す仁亀
赤西仁と亀梨和也が一緒に赤西ソロ曲を歌った。
言葉にするととてもシンプルで、
「何故たったこれしきのことで15年経った今も騒ぐの?」
「一緒にソロ曲歌うっていってもそういうコーナーなんだから当たり前じゃない?」
と言われそうですが。
15年経っても懐古したくなるくらい、仁亀の絡みはレアだったのです。
シンメとシンメとシンメで構成されたKAT-TUNというグループの中で、仁亀は間違いなくツートップシンメでした。
6人並べば基本的にセンターは仁亀だし、シングルが出ればだいたい歌い出しは仁亀のどちらかで始まるし。
だけど、絡みという点でいえば他の2組のシンメに比べて仁亀は圧倒的に少なかった。
でんでんもロバ丸もラジオがあったのに仁亀はない。
水と油からどんどん距離を縮めていく田口と聖。最初からずーっと友達な中丸くんとたっちゃん。
そんな他のシンメを見て羨ましいと思ったこともありました。
そりゃあ過去を遡れば仁亀にだって双子期と呼ばれた時代があります。
(あほみたいにイチャイチャしてる時代の写真集がちゃんと公式として残ってるのまじでありがたい…)
仁亀だって普通に仲良しでした。
だけど、いつの頃からか仁亀の絡みは明らかに減っていったのです。
その理由が不仲なのか、戦略なのか、大人になるにつれての成長なのか、真実は分かりません。
私は仁亀が不仲だったとは思ってないけど、だけどやっぱりちょっと寂しかった。
だから、あのとき。
「ムラサキ」という赤西くんのソロ曲を、赤西くんと亀梨くんがふざけあって歌ってる。
たったそれだけ、されどそれだけのことが、仁亀というだけでどうしようもないくらい特別でした。
全方位にオススメしたい「KAT-TUN LIVE Break the Records」
ムラサキ事変に限らず不滅コンはMCでもわりと仁亀の絡みが多くて楽しかったなぁ。
全日分のMCと日替わりメドレーが円盤化されたら言い値で買うのでどうかよろしくお願いします。まだ諦めてないよ!!
中丸くんの松ぼっくりはともかく不滅コンはマジでみんなビジュアル良いし甘栗たっちゃん最強説だし、アルバムは良曲揃いだし、みんな大好き亀梨くんのソロ曲1582が入っているので見たことない人はぜひ一度手に取ってみてください。
バックにはKis-My-Ft2とA.B.C-Zも居ます!
聖ソロから田口ソロへの繋ぎに「でんでんんんんんんんん」ってなるし、MCで突如中丸くんの前髪をいじりだすたっちゃんとされるがままの中丸くんの身長差に「ロバ丸ぅぅぅぅぅううううう」ってなるので、とりあえず全方位にオススメします。
結果として、映像化されたロクーン最後のコンサート。
もちろんこの時はそんなことになるなんて微塵も思っていないので、ただただ全力でかっこよくて全力でふざけているKAT-TUNが見られます。
買って損はさせません。
亀チャンネルで語られた亀梨和也にとっての赤西仁
この15年で変わったことは山ほどありますが、大きな変化のひとつがSNSの開設です。
亀梨くんは個人でYouTubeを始め、赤西くんの名前を出しました。
「1番1番で赤西とシンメでやっていた」
6人組だから基本的に1番1番とかで赤西と当時はシンメでやってたんだけど
亀梨和也のこれまでの歩みを振り返る中で亀梨くんが語った過去。
このほんの数秒を何度繰り返し見たことか。
たぶんビデオテープだったら擦り切れてますね(笑)
亀梨くんの口から"赤西とシンメだった"と聞いただけでなんでオタクはこんなに嬉しくなるんだろう。
"1番1番"というのは舞台やステージ上での立ち位置のことです。
ゼロ番がセンターのこと。
真ん中である0番を挟んだ両隣が1番。そこから2番、3番……と番号が大きくなっていきます。
6人組だったKAT-TUNにはセンターが存在しないため、0番に立つことは基本的にありません。
ツートップシンメだった仁亀は0番を挟んだ左右対称の位置である1番1番に立っていたというわけです。
別件ですが、ドームなどの大きいステージになると番号が大きくなり「36番」とかが出てきます。
初めてのドーム公演ではアリーナ会場では聞き慣れない番号が出てきてステージの大きさを実感するらしいです。
Snow Manの素のまんまで宮舘くんと目黒くんがそんな話をしていました。
「時期時間があったことに感謝している」
目黒蓮くんがゲストに来た回では、亀梨くんは目黒くんとラウールくんの関係性を自分と赤西くんに例えていました。
「目黒蓮がヒットしていくにあたってラウールの存在ってめちゃくちゃ大事なんだよ」
「分かりやすく言ったら俺が亀梨和也としてバーンっていった時期の赤西くんであったりやまぴーっていう存在がいなかったら俺はこうなってなかったんだよ」
亀梨くんにとっての赤西くん。
ひとつ年上の赤西くんはお兄ちゃん的存在で、ライバルだと思えるような存在でもなかった。
まさかこんな話を令和になって聞くことが出来るなんてなぁ。
これは本当にYouTubeならではって感じでしたね。
私にとって仁亀はシンメオタクの原点
ムラサキ事変から15年。
今年も多くのオタクがあの日を回顧しています。
仁亀はシンメではなくなりました。
もう二度と仁亀の思い出が更新されることも、名前を出すこともないと思っていました。
でも、そうじゃない未来がありました。
赤西くんも亮ちゃんとかとのYouTubeでポロっと亀梨って言ってるんですよね。
赤西くんの脱退から5年後、KAT-TUNはデビュー10周年を迎えました。
10周年記念ライブのパンフレットで、赤西くんの留学中に仁亀が連絡を取り合っていたという話を亀梨くんがしています。
たったそれだけのことで、この先も仁亀の亡霊で居られるとさえ思っていました。
仁亀がツートップシンメだった時間よりも、そうではないKAT-TUNの歴史が長くなっていく。
だけど確かに、仁亀は仁亀だった。
太陽と月みたいな、似てるんだか似てないんだか分からない不思議で圧倒的なふたりだった。
赤西仁のカリスマ性と亀梨和也のアイドル性。
ふたりのハモリが大好きだった。
KAT-TUNの真ん中に仁亀が立っていればなんだって出来ると思っていました。
下町の野球少年だった亀梨くんが3本線のジャージを履いていた赤西くんに憧れて、掴み取ったシンメの座。
いつだってKAT-TUNを背負って亀梨和也で居続ける亀梨くんと、KAT-TUN以外の世界に羽ばたいていった赤西くん。
道は完全に別れてしまったけど、きっと今の亀梨君が在るのは赤西君が居たからで、今の赤西君が在るのは亀梨君が居たからだと思っています。
仁亀が仁亀だった奇跡に感謝!!!
散々不仲だなんだと言われているけど、ちょいちょいMVのメイキングやら冠番組やら地方公演やらで「やっぱりこいつら普通に仲いいんじゃね?」ていうエピソードが零れていた仁亀が大好きだよ!!!
過去は美化されがちだから、いまもこんなに仁亀が特別なのかもしれない。
だから、今の仁亀に再会して欲しいかと言われれば正直微妙なところですが(笑)
オタクはやっぱり欲張りだから、いつかまた仁亀が見られる日をちょっとだけ期待して、今年のムラサキ記念日をお祝いしたいと思います!